個人の暴力
それとも権力が行使する暴力
真の悪逆はどちらか?

時計仕掛けのオレンジ 〜THE CLOCKWORK ORENGE〜

スタンリ−キュ−ブリック監督作品

1970年製作
主演、マルコム・マクドウェル

ヴェ−ト−ベンをこよなく愛し
精神刺激物質混入のミルクを飲み
夜な夜な暴力を行使し、他人の悲劇を何よりの快楽とする
そんな主人公アレックス(マクドウェル)
彼はある夜、押し込みに入った屋敷の女を殺し
仲間に裏切られ投獄されてしまう
服役中、彼は聖書に残虐な妄想を抱きつつ
とある実験の噂を耳にする
それは服役期間の大幅短縮の変わりに
暴力的要素の一切を精神医学を駆使し人間から排除し
人工的な「善人」を作り出すプロジェクト
彼は自ら実験体に志願する
凶悪なアレックスから善人のアレックスへ
しかしそれは全体から見れば何の意味もない国家権力の悪逆の始まりに過ぎなかった…

強盗・傷害・暴行・レイプ
この映画にはそんな要素が多数含まれています
アレックスは良心の呵責を一切持たず本能のままに暴力行為を行使します
警察機構が発展した現代


……今と何も変わっていないような気がしませんか?


人間的なものに関して全くの進歩が見られない現代の若者
この映画は一応「近未来」を描いていますが
全く持ってスタンリ−キュ−ブリック監督の想像通りの世界があるじゃないですか
そしてそんな彼を科学によって「矯正」する国家権力
この人権を無視した行為も今の世の中を物語っていると思います

個人の暴力か
それとも国家権力の暴力か
個人は時として本能に走り、権力は時として「平和」を唱え人を殺す

果たして何が正しいのか

人間として永遠のテ−マなのかもしれませんが
この映画でぞっとするのは
最後のシ−ンでにこやかにアレックスの身の上を肯定する権力者
「時計仕掛けのオレンジ」というタイトルの由来は
『一見綺麗なオレンジも、一皮向けばグチャグチャの機械が詰まっている』
という説もあります


さぁモラルとは何か?


それは我々が個人個人で考えなければならないのかもしれません