先日、「やさしいこどものつくりかた」という本を読んだんです
タイトルだけ見れば育児教育の本か
ともすればHなハウツ−本とも取れるタイトルなわけですが
中身は至ってカオスってて
エロな要素なんぞ微塵もありません
んでどんな内容かというと
3人のホムンクルス(錬金術で生成した人造人間)の家族の物語で
ラストの方に凄く興味深い台詞があるんです
主人公の少女に向かって錬金術師の男が言うんですが
「今回の状況設定が気に入らないのなら次がある
ダド(ホムンクルスの少年)も君も何度でも再生出来る
心の痛みがあるなら記憶を変えればいい
それだけの事だ
いつでも逃げる事は出来る…これは
…ただのママゴトだ…」
主人公の少女を除いて
劇中のホムンクルス達はアイデンティティを確立する事が出来ません
あくまで人間を「模倣」する事により
より人間「らしく」振舞うことが出来るだけなんです
現実の状況と何の変わりがありますか?
「カリスマ」と称される著名人を模倣して
それを「個性」と表現する
それはつまりパ−ソナリティを堂々と放棄しているようにしか俺には思えません
「いいじゃない!あたしはこれが良いと思ってるんだから!」
模倣者からそういう声を多々耳にしてきましたが
そんなもので「アイデンティティ」が確立出来るとは
「個性」という概念もずいぶんと軽く扱われたものですね
即時切替可能な個性
「状況が気に入らないなら次がある」
この言葉はそういった模倣を「個性」と思い込む若者を表しているのではないかと
そんな個性、俺はいらない
それで「天邪鬼」とか「変人」とか蔑まれても
「だからどうした?」と大手を振れる
「個性」っていうのはそういう物だと
少なくとも俺は思うのだが…
いかがでしょう?
世の若人諸君