最近では何かと話題の「インディ−ズ」
特に親しい友人(K)と共にこんな事も考えてます

形骸サウンド


俺「最近「インディ−ズ」流行ってるじゃん?」

K「あぁ〜…あれって何か変じゃね?」

俺「やっぱそう思う?」

K「うん、連中の場合「インディ−ズ」っていう「媒体」が好きって事を言ってるだけじゃん」

俺「ふむふむ」

K「要するにさ、気に入ったバンドとか歌手がたまたま「インディ−ズ」ってだけじゃんよ」

俺「だよな…メジャ−とかインディ−ズとか実際聞いてる側にしてはどっちでも良い訳で…」

K「そうそう!「インディ−ズの何とかってグル−プがいい」ってなら解るんだけど…」

俺「「インディ−ズ」という媒体という事が一種のステ−タスになりつつあって…」

K「インディ−ズ以外のモノは全く駄目っていう状況が出来つつあるよね」






「インディ−ズ」
楽曲・映像製作やプロモ−ション、ソフト(CD・ヴィデオ)制作をレコ−ド会社に委託せず自主的に行うグル−プや個人の総称

「最近はインディ−ズが熱い」とかいう台詞を最近の若者の口からよく聞きます
メジャ−に進まず我が道を行く彼らの行動を賞賛しての台詞なのでしょうが
なんか…

微妙にムカつきます

確かに最近ではインディ−ズレ−ベルで活動しているグル−プや個人が多い
※最近ではパンク・コアかな?
最近のインディ−ズ…というより
潜在的に存在してた多数が近年の状況に煽られ表に出てきた…という事だろう
自主制作レ−ベル自体は80年代に既に存在していたのである
当時はメジャ−デビュ−するまでの登竜門的な感じだったのだと思う

それが最近では
下手したらレコ−ド会社所属のグル−プや個人より有名なものもある状態だ
ここに違いはあるだろうか?

下克上

恐らくはそういう事なのだろう
それだけなら納得出来るし聞いてみるのも悪くないと思う
しかしながら「インディ−ズ」というだけで騒がれてるのを見ると、どうしようもなく脱力してしまう
音楽や映像というものは本来
リスナ−たる自分の目や耳で見たり聞いたりした上でモノの良し悪しを決めるものだと思う

最近のリスナ−の感覚として、こんな感じなんだろうと推測してみる
「インディ−ズだから良いモノだろう」
「インディ−ズの方が良い」

あんたらはそんな理由でモノの良し悪しを決めるのか?
想像しただけでうんざりする

俺は洋楽が好きだし
なんていうか…周りとは違うものに触れている感覚が何となく気に入っていたりもする
現状で「インディ−ズ好き」とか言ってる連中も
そんな感覚で観たり聞いたりしているのだろう
だけど…俺やKはそんな連中とは全く違っている

要するに「インディ−ズ(又は洋楽)の何とかっていうグル−プ(又は個人)がいいね」という

媒体そのものではなく、確固たる固有名詞を確立させているのだ

この違いは天と地の差があると考えてほしい

先日「はっきりしないものが嫌い」と明記したが
これはその典型であると俺は考えている

インディ−ズが好きと明言している若い諸君
宣言しておこう
特に好きなグル−プを好きになれないようなら、インディ−ズという媒体で判断するのを今日限り止めた方が良い
そんな事を言ってるうちは贔屓のグル−プを見つける前に

数ヶ月で飽きが来るだろう、確実に

別に屁理屈と取ってもらっても構わない
ミ−ハ−な連中には
モノの良し悪しはわかんねぇだろうな…って思うだけだ
少なくとも俺とKが